沖縄県那覇市の密教護摩祈祷、祈願寺

 真言密教、不動明王、護摩祈祷、護摩祈願、日々役に立つ仏教 心を癒す感動する仏さま、物を手作りしそこに魂を入れる、  密教寺院勝龍寺沙門龍明のブログです。

密教に於ける仏像とは、何か?  仏教の信仰対象である仏の姿を表現した像のこと。仏の世界にも大きくわけて4グループに分類されています。
その他にも、「神仏習合」で生み出された尊格、高僧、守護獣等、石仏、大仏などがあり、順に紹介します。
細かく紐解き説明し、日々の生活に役立たせたいと思います。




愛知県西尾市刈宿町に常福寺という寺があります。

国道247号沿いに大きな姿を見せる赤い大仏は、同県の東海市に建立されています聚楽園大仏と並ぶ「戦前のコンクリート大仏」のひとつであり、作者の後藤鍬五郎氏はどちらの大仏製作にも関わっているコンクリート大仏製作の第一人者です。



【上記の写真の大仏は、東海市に建立されています聚楽園大仏。】

全高14メートルのコンクリート大仏 常福寺(じょうふくじ)は長徳年中(995~998)に源満国が母の菩提のために建てた天台宗寺院が始まりとされています。




現在は浄土宗西山深草派に属しています。

本堂には平安時代の不動明王立像(市指定文化財)が安置されています。

境内には「刈宿の大仏(おおぼとけ)」として親しまれるコンクリート製の大仏が海の方角へ向かって鎮座し、この辺りのランドマークとなっています。




昭和初期に海難者の冥福を弔うために建立されたもので、像内へ入って胎内めぐりをすることもできます。

大仏ファンの方、海関係で働いてる方は是非に参拝ください。

密教に於ける仏像とは、何か?  仏教の信仰対象である仏の姿を表現した像のこと。仏の世界にも大きくわけて4グループに分類されています。
その他にも、「神仏習合」で生み出された尊格、高僧、守護獣等、石仏、大仏などがあり、順に紹介します。
細かく紐解き説明し、日々の生活に役立たせたいと思います。




群馬県太田市に、日本唯一の専門研究施設であるジャパンスネークセンターがあります。

ジャパンスネークセンターは、毒蛇の血清研究をしています。

施設内は、蛇の動物園で蛇に関する色々な展示・イベントを行っております。

日本本土には、まむし・やまかがしが生息しておりここ沖縄は、ハブが毒蛇として有名です。

最近では那覇に住んでいると、ハブに噛まれたとは余り聴きませんが、たまに大きなハブが捕獲されたとニュースで見ます。

捕獲したハブは、警察署に持っていき1匹5千円~8千円で業者が引き取るみたいです。

そのハブは、どうなるのでしょうか?

食用やハブ酒になり、とくにハブ酒は観光客に大人気です。

人気といっても国際通りの土産屋の軒先に販売展示のハブ酒をスマホでパチリで、買う人は少ないです。

なんせ高級品で、大きいハブ酒ですと5万円以上するのです。




話を、スネークセンターに戻しますが、蛇好きの方にはたまらない蛇に関してのことを様々な方法で展示やイベントされています。

遠方の方でも、蛇の抜け殻やハブの牙などを普段ではお目にかかれないものを、通販で販売されています。

興味ある方は、アクセスされてみてはいかがでしょう!https://www.snake-center.com/

そして、スネークセンターでは年に一度、10月に血清研究の犠牲になった蛇たちの供養をしています。

その為に1971年に約10mの白蛇観音の大仏を建立し蛇の供養を執り行ってきています。

白蛇は、古来より神仏の使いとされて、白蛇に乗る姿で表現されています。

白蛇は、その貴重な存在から金運降昌・商売繁盛などを祈願の対象になります。




蛇の抜け殻を財布のなどに入れとくと金運が上がったなど、よく聞きます。

蛇好きの方も、そうでない方も珍しい蛇専門のスネークセンターで蛇に関する知識と金運UP!のヒントを見つけられてはいかがでしょうか。

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その他にも、「神仏習合」で生み出された尊格、高僧、守護獣等、石仏、大仏などがあり、順に紹介します。
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JR大船駅西口より、徒歩10分にある大船観音寺内に、25mの白衣観音像(大船観音)が建立されています。

しかもこの観音様、上半身だけなのです。

そのせいか、横幅もあり見た目25mよりも大きく感じます。




こちらの大船観音は、なんと戦前(第二次前)生まれです。

着手したのは昭和9年とのこと。

輪郭までは完成したものの、太平洋戦争に突入していく中で結局未完成のまま放置されてしまいました。

戦争が終わった昭和32年に工事が再開され、昭和35年に完成しました。

生まれは戦前だけど、現在の姿に至ったのは昭和35年で実に26年の歳月がかかりました。




長い間、廃墟同然でしたが有志の人々により復興された白衣観音のお顔は、つらい歴史を経て苦難を乗り越えた、慈悲のある優しいお顔です。

やさしいお顔が、我々に安心感を与えてくださるのでしょうか。

心をまるごと包まれる観音さまです。




大船観音は大船のシンボルとして位置付けられ、夜間にはライトアップされるなど、観光名所となっています。




鎌倉市は、多くの神社仏閣が多く有り観光客に大人気です。

鎌倉大仏より13m大きい大船観音は、是非抑えて置きたい大仏スポットです。

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宮城県柴田郡の船岡城址公園内に船岡平和観音が建立されています。

その、船岡城址公園には船岡城という山城が建っていましたが、今はきれいなさくらの名所100選にも選ばれ、お花見の季節には観光客で混み合う、人気の公園なのです。

花見シーズンでない時でも、天気の良い日は、山頂からの眺めを楽しみにしている方で、次々と車が駐車場に入ってくる人気の行楽地です。

山頂までは、徒歩かスロープカーであがります。

さくらのシーズンは、こんな感じです。







頂上に着くと、船岡平和観音の建立されている広場が広がっています。

船岡平和観音は、永遠の世界平和、郷土の繁栄、先祖菩提供養、亡き妻・シズ夫人のために、郷土出身の故・野口徳三郎氏によって建立されました。

故・野口徳三郎氏が、その想いを大切にしたい為に、当時の金額工費は7500万円の工事費を私費で建立されたそうです。

船岡観音の開眼は1975年12月10日。大観音像の高さは20メートル、台を入れると24メートルあります。




お顔をみると、その慈悲が伝わってくるようです。

東日本大震災の為、現在は大仏の胎内めぐりができなく、胎内の展望台には行けませんが、さくらのシーズンには、是非足を運んでみて下さい。


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秋田県と言ったら何を連想するだろうか?

有名なのは、秋田美人や秋田新幹線、秋田犬ぐらいしかでてこない。

その秋田美人には、面白い俗話がある。
関ヶ原の戦いの結果、常陸国(現在の茨城県)の大名佐竹義宣が江戸幕府から秋田への転封を命じられた腹いせに、俗説として旧領内の美人全員を秋田に連れて行ってしまい、その後水戸に入府した徳川頼房が佐竹氏へ抗議したところ、秋田藩領内の美しくない女性全員を水戸に送りつけてきた為、秋田の女性は美人で水戸はブスの3大産地の1つ(他の2つは仙台と名古屋)になった、というもの。

本当かどうかは知らないが、私の実家の菩提寺が茨城県水戸にあるので、何だか複雑な心境である。

もう一つ忘れてはいけない景勝地が、田沢湖で日本一深い湖として知られ最大深度は423.4メートルあります。

その湖の近くに高さ35mある金色の観音様が建立されています。




ホテルに隣接する公園に建つ、鋳造黄金観音像で日本一を誇る金色大観音像を自慢しています。




また、門は変ったオブジェみたいなインド的と言うかチャンポン的な変った建物で仁王像も門番をしています。




本尊台座内にある「観音資料館」では、胎内くぐりや曼荼羅宮、十二支御守本尊の参拝などができるようになっています。

ほかにも公園内には、蓬莱池、七福神めぐり、四国霊場八十八ケ所巡拝お砂踏みなどの見どころがあり、心静かな散策の時間を過ごせます。

まだ行った事のない方は、暇つぶしにどうぞ! たしか、入場料金が500円位だったとおもいます。

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広島県尾道市に建立されている、耕三寺を訪れますと何だか不思議な気分を感じます。

境内に建立されている建物が、どこかで一度は見たことのある記憶のある建物だからです。

「幸養門」(こうようもん)と呼ばれている大きな門を見たときに、気づきます。

今見ているのは、「日光東照宮の陽明門」である!  と見間違えるほどの、豪華で威厳のある門が目に飛び込んできます。







そして、その先にある本堂は、「平等院鳳凰堂」であるかのような建築物である。







どうゆうことかというと、つまり耕三寺の堂宇はみな国内の国宝級の有名建築をモデルにしたものです。

中門は、法隆寺である。



五重塔は、室生寺である。


日本の寺院の名建築を集めた博物館のようです。


何故このようなお寺が建立されたのであろうか不思議です。

耕三寺の境内をどんどん進み一番奥に建立されている、15mの大仏が「救世観音大尊像」が現れます。




こちらの救世観音像も、境内の建物同様に色鮮やかな彩色がほどこされております。

名前やお姿から、法隆寺夢殿の救世観音像にそっくりであることに気づきます。

なぜ、名建築の寺院に法隆寺の救世観音像を建立されたかの説話には、素敵な思いが込められていたのです。

この、耕三寺を開いた耕三和上がお母様の面影に似せて建立したのが耕三寺救世観音大尊像です。

この豪奢なお寺は、和上が母親に感謝と供養をこめて建立したものだと言います。

お母様のために全国各地の名建築を選んで堂宇を建立した理想の寺院です。

和上のお母様への想いが伝ってくる、素敵な誓願のお寺です。

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「ハニベ」とは聞き慣れない言葉ですが、古代の埴輪職人を語源とし、彫塑家を指す言葉だといいます。

石川県小松市の郊外に、都賀勇馬・伯馬師の親子二代によって開かれた「ハニベ厳窟院」があります。

まず出迎えてくれるのが巨大な仏頭。




頭のさきから、肩までの高さが15mもあってその大きさに驚かされます。

二代目伯馬師が現在製作中の大仏の頭で、完成すると33mの座像としては最大級の大仏になるとのことです。

どのようなスケールの大仏になるかたのしみです。




裏山には昔の石切り場跡地を利用して国内でも珍しい洞窟寺院が建立されています。

洞窟内には、両師の作になる仏像群が建立されています。

そのなかでユニークなのが、「地獄めぐり」です。

その辺にあるアトラクションとは違い、薄暗い洞窟の中で、両師の気迫のこもった鬼や閻魔大魔王の地獄絵巻が表現されていて、大人でも思わずトリハダが立つ迫力です。




また、地獄では鬼達が集って宴会中です。

目玉の串刺しや人血酒で一杯というなんだか恐ろしくも有りユニークな場面もあります。




地獄めぐりは、自身の日頃の生活を見直して、心を改める為の因果応報を勉強できる空間です。

子供の教育に役に立つ生きた勉強になることでしょう。



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坊主頭で、手には錫杖と宝珠を持ち、人々をいつも見守ってくれている「お地蔵様」。

お寺だけではなく、道端の石仏としてもおなじみの身近な存在で、ごく自然に街の風景にとけこんでいるので普段はあまりきには留めない事でしょう。

今回、紹介するお地蔵さんはチョト違う。

茨城県久慈郡大子町にある「道の駅奥久慈だいご」は、温泉施設もあり人気の道の駅です。

その駐車場に、「日本一大きな地蔵尊です。大子地蔵尊 徒歩3分」と看板がある。

日本一の地蔵尊の言葉に魅かれ、民家の間の絽地を歩いて行く。

すると、突然民家の間から大きなお地蔵さんが顔を出す。




近づいてよく見ると、顔と手は肌色、衣は水色、頭巾とよだれかけは赤、台座は青と緑に塗られたカラフルなコンクリート大仏、高さ9.62mのお地蔵さんが建立されている。




お地蔵さんというと、坊主頭が定番であるが、こちらは珍しい頭巾付きである。

雨や雪の日は、お地蔵さんの頭も寒かろうという作り手の優しさが伝わってくる非常に手作感のある、ひたししみやすいお地蔵さんである。



江戸時代にこの地に川から流されてきたという石仏のお地蔵さんが祀られていた。

昭和36年に橋の工事の為、現在の場所に移ってきた。

その2年後にこの大子地蔵尊が地元の有志により建立されたそうです。

大きなお地蔵さんの横の地蔵堂に昔のお地蔵さんが祀られ、新旧二体の地蔵尊が仲良く並ぶ光景は、微笑ましい。

現在でも町内の人々によりその信仰は守られ、毎年8月14日には「大子地蔵尊祭り」があり、花火大会や灯篭流しなども開かれる。

地元の人に愛されているお地蔵さんである。

もうじき8月14日でお祭りが開催されるので、お近くの方は是非、足を運ばれてみてください。

密教に於ける仏像とは、何か?  仏教の信仰対象である仏の姿を表現した像のこと。仏の世界にも大きくわけて4グループに分類されています。
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愛子大仏(あやしだいぶつ)は愛子内親王殿下のご成長とともに、地域の発展や、子供たちの幸せを記念して建立されました。

皇族の姫君誕生を記念して大仏が建立されるなんて、遠い昔の話の話のようだけど、愛子大仏は日本国内では最も新しい大仏様です。

愛子様ご誕生を祝して、仙台市の愛子地区に平成13年に建立されました。

現代ならではのユニークな参拝方法があります。




大仏は街を一望する高台に立っているので、麓から大仏まではなんとスロープカーが設置されおり、これに乗車して楽に登って参拝することができるのです。

まさに、現代のニーズに合ったバリアフリー社会に対応した新時代の大仏様です。




高さ15メートル、重さ15トン。

大きさは奈良の大仏と同じぐらい。

でも、意外に軽い? 

実は愛子大仏はFRP(プラスチック)で出来ているのです。

お顔がふっくらとしていてどことなく愛子様の面影を感じます。

ちなみに頭の上にピョコッと立ってるのは、寝癖じゃなくて避雷針。




かわいい名前の付いた「ナムナム号」と現代の技法のFRP(プラスチック)大仏のふくよかなお顔を観に参拝されてみて下さい。

密教に於ける仏像とは、何か?  仏教の信仰対象である仏の姿を表現した像のこと。仏の世界にも大きくわけて4グループに分類されています。
その他にも、「神仏習合」で生み出された尊格、高僧、守護獣等、石仏、大仏などがあり、順に紹介します。
細かく紐解き説明し、日々の生活に役立たせたいと思います。





永田佐吉(1701~1789)は、江戸時代中期の美濃の国(岐阜県市羽島市)の方です。

彼は、継母に対する真心のこもった孝養、分け隔てのない慈愛の行為、数々の社会奉仕、篤い信仰心等により誰言うとなく、仏の佐吉と称せられるようになりました。

生い立ちは貧しく早くして両親に別れ、丁稚奉公等で苦労を重ねますが、正直で誠実な言行により、綿の仲買人として成功しました。

佐吉は商いにあたり秤を持たず客に任せて取引をしました。

人々は佐吉の信に応えようと、彼との取引を望みそして佐吉に不利になるような商行為を行うことはしませんでした。

彼は、豊かになってからも決して奢らず質素倹約に努めました。

社会奉仕のためには、道標の設置や道路補修等に惜しげなく資産を投じますが、そういう時には自分の名前を出すことはなく村全体で作ったと記しました。
 
今、佐吉の住居した羽島市竹鼻町には彼の建立した丈六の大仏が祀られ、訪れる人の心を和ませています。




又、市立竹鼻小学校正門付近には佐吉座像が設置され、郷土の生きた手本となる人物として尊敬を集めています。 




佐吉大仏は永田佐吉翁によって、宝暦9年(1759年)に建立された青銅の釈迦牟尼仏です。

仏像の高さは石の台座を含め全体で5m程、台座の周りはおよそ8.3mです。

作は江戸の鋳物師西村和泉守藤原政時です。(岐阜県指定史跡・羽島市指定史跡)




大仏様を造った理由は、母の代わりに諸国巡礼の旅に出て、その途中大病にかかりますが、神仏に祈ったところ全快いたしました。

帰宅後その話をしたところ、母は大いに喜び、仏様に感謝するよう勧めました。

それで佐吉翁は大仏様を建立されたのです。

本尊の大仏様にはお堂が設けられました。




現在のお堂は明治24年(1891年)の濃尾震災で焼失したのを昭和37年(1962年)再建したもので、その際宗教法人「大仏寺」と法人化されました。

現在は、子孫が守るお堂に祀られていますが、しばらくは佐吉翁の偉業は歴史に埋もれていました。

近年になり、佐吉翁を再評価され大仏に参拝する人々も増してきたそうです。

大仏の穏やかな表情に佐吉翁の面影が見えるようです。