沖縄県那覇市の密教護摩祈祷、祈願寺

 真言密教、不動明王、護摩祈祷、護摩祈願、日々役に立つ仏教 心を癒す感動する仏さま、物を手作りしそこに魂を入れる、  密教寺院勝龍寺沙門龍明のブログです。

夜叉が転じて豊作祈願のお稲荷さんへ・荼吉尼天(だきにてん)

仏・仏像を知り日々に役立てる


密教に於ける仏像とは、何か?  仏教の信仰対象である仏の姿を表現した像のこと。仏の世界にも大きくわけて4グループに分類されています。細かく紐解き説明し、日々の生活に役立たせたいと思います。

荼枳尼天



狐を眷族とし、五穀豊穣の神にして商売繁盛の霊験あらたかな神として広く知られていますお稲荷さん。
その信仰は、稲荷の地仏とされたインドの女神「ダーキニー」との習合で発展したものです。

ダーキニーは、インドのバラマウ地方のドラヴィダ族の中の一部族、カールバース人に地母神として尊崇された麗しい裸体の女神で、土地の豊饒を司る神である。

インドの女神ダーキニー



やがて、バラモン教やヒンドウ教に取り入れられると、豊饒が愛情に変わっていって愛欲の神となり、シバァ神の夜の姿マハーカラ(大黒天)の妻カーリー(シバァ神の昼の姿の妻はパールヴァティー)の奴婢の一人とされ、小悪魔的妖精神と認識されるようになりました。
         
仏教の中に取り入れられると、途端に猛烈な悪鬼となり、愛欲によって人の心を射止めることから転じて、人の心臓を喰い人肉を喰う女夜叉となりました。

密教の神話において、大日如来が大黒天の姿となって彼女の前に現れて威嚇し、生きた人の心臓を食べることは止めさせ改心させました。
ですが、死屍の心臓だけは食べることを許し、人の死を6ヶ月前に予知する能力を与えられ、他の者に先んじて、死者の心臓を手に入れられるようになりました。
そして、これによって、彼女は物凄い神通力を獲得しました。

彼女は死肉を食べるので、これが、死肉を喰うジャッカルと結び付けられ、ジャッカルに乗る姿で描かれるようになりました。

東アジアにはジャッカルは居ないので、これが狐に置き換わり、白狐に乗る姿となりました。

荼枳尼天仏画



荼吉尼は、猛烈な神通力を有しているので、彼女を信仰し、荼吉尼の法を修する者は、その神通力を得ることが出来ると考えられました。                   修験道(山伏)の中で飯縄権現を修する一派の人たちに取り入れられて、管狐(くだきつね)を使う妖術となっていきます。                        「源平盛衰記」に平清盛が若い時代、「狩りの途中で荼枳尼天と出会い、この修法を行うか迷う場面が記されています」が、「源平盛衰記」はあくまでも後世に書かれた文学作品であり、清盛が実際に荼枳尼天の修法を行っていたとする根拠はありません。
清盛と荼枳尼天(歌川国芳)盛衰記人品箋 1840年



応仁の乱後の政局を動かした細川政元が飯縄の法・荼吉尼の法を修法したことは事実のようです。                           
 
         
日本伝来は、平安期にお大師様(空海)により伝えられた真言密教ですが、荼枳尼は胎蔵曼荼羅の外金剛院・南方に配せられています。
胎蔵曼荼羅・外金剛部院の荼吉尼衆


奪精鬼として閻魔天の眷属となっている半裸で血器や短刀、屍肉を手にする姿ですが、後の閻魔天曼荼羅では薬袋らしき皮の小袋を持つように変りました。
そしてさらに、時代が下ると、その形像は半裸形から白狐にまたがる女天形へと変化し、荼枳尼“天”と呼ばれるようになりました。
もともとインドでも、愛欲や性をつかさどり、豊穣をもたらす地母神でもあり、稲荷の祭神である穀霊神(宇迦之御魂かみ・うかのみたまかみ)とあい通じる神格です。

荼枳尼天像




荼枳尼天の形
荼枳尼天は、天女形で右手に剣を持ち、左手に如意宝珠をのせ、天駆(あまが)ける白狐に跨る容姿で表されているのが一般的です。


荼枳尼天のご真言
オン キリ カク ソワカ


荼枳尼印
荼枳尼印


カン

荼枳尼天の種字・カン


荼枳尼写仏



信仰・御利益についてですが、密教と習合した荼枳尼天は鬼神の恐るべき力が転じ、いちじるしい現世利益をもたらす天部の神として信仰されています。
その種字を眼前に置き、「種字が変じて人の心臓となり、荼枳尼に変じ、さらに文殊菩薩となり、ふたたび荼枳尼になる」と観想します。
成就すれば、つねに荼枳尼天が側に仕えて、徳福をもたらすとされます。
ご縁があれば是非に、荼枳尼天の福をお授かり下さい。














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