沖縄県那覇市の密教護摩祈祷、祈願寺

 真言密教、不動明王、護摩祈祷、護摩祈願、日々役に立つ仏教 心を癒す感動する仏さま、物を手作りしそこに魂を入れる、  密教寺院勝龍寺沙門龍明のブログです。

毘沙門天の紀、そして美しき女天・吉祥天

仏・仏像を知り日々に役立てる


密教に於ける仏像とは、何か?  仏教の信仰対象である仏の姿を表現した像のこと。仏の世界にも大きくわけて4グループに分類されています。細かく紐解き説明し、日々の生活に役立たせたいと思います。

浄瑠璃寺吉祥天



仏像や仏画に女性が登場するのは、主として天部の諸尊が中心となります。
これらは、古代インドの神話のなかで重要な女神として登場しているからです。
吉祥天も古代インド神話の中に登場する、女神であるラクシュミーが仏教に取り入れられたものです。
ヒンドゥー教の女神の一柱でヴィシュヌ神の妃とされ、また愛神カーマの母とされていて、美と豊穣と幸運を司る女神です

ラクシュミー



仏教に取り入られてからも、福徳や五穀豊穣を司る女神とされて、功徳天とも呼ばれています。
仏教のなかでは、毘沙門天の妃であり、一緒に脇侍を務める善膩師童子(ぜんにしどうじ)の母でもあります。

毘沙門天三尊



吉祥天は福徳の女神であり、七福神の一つに数えられていた時期もありました。
吉祥天の信仰は七世紀ころには日本に伝来し、女神としては弁才天よりも人気を集めていました。
後に、弁才天の人気が高まり弁才天に七福神の座をとられました。
ですが、これは時代背景のことです。

国宝薬師寺吉祥天画像



日本に伝来した吉祥天は福徳の女神として信仰された。
平安時代には、吉祥悔過という国家的な法要が天皇の命によって行われていました。
これは吉祥天を本像として、金光明最勝王経に基づいた「吉祥悔過会(きちじょうけかえ)」という密教の経典を読経して、罪を懺悔しつつ、五穀豊穣や福徳を祈願するものです。
この経典によると、吉祥天はさまざまな善行をし、功徳をつんだ天女なのです。
吉祥天の名前をとなえると、五穀豊穣、財産も豊かになるという御利益があると説いています。


吉祥天の説話
平安時代の仏教説話集「日本霊異記」には、吉祥天にかかわる生々しい物語があります。
信濃の国のある僧侶が、山寺に祀られている吉祥天に人目惚れし、なんとか自分にも天女のような女性が授かれないものかと祈ります。
するとある夜、願いが強いせいか吉祥天の像と交わる夢を見てしまいました。
翌朝、吉祥天の像を見ると、その腰あたりに精液らしきものがしみていたといいます。
そこでは、「交わったことを人に話してはならぬ。」と吉祥天に釘をさされたにもかかわらず、うっかり者の坊さんは、他人に話してしまいました。
怒った吉祥天は、坊さんに水をかけ、その水で坊さんは悪い病気にかかってしまう、という話です。
落語のような話ですが、仏法の戒立の戒めのような説話です。
生々しさのなかに人間としての煩悩や欲望は必ず生じます。

「般若理趣経」という真言宗の真髄とも言うべきとても大事な経典があります。
(天台宗の最澄が空海から灌頂を受け色々な経典を借り受けたがこの経典だけは改宗しなければ貸せないと断り、仲違いになってしまつた程、大切な経典なのです。)

長い経典ですが、(読経に大体20分位掛かる)初段(大楽の法門)金剛サッタの巻きにこう書いてあります。

男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である。
欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である。
男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である。
異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である。
男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、天にも登るような心持ちになるのも、清浄なる菩薩の境地である。
欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である。
男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である。
男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である。
自慢の心も、清浄なる菩薩の境地である。
ものを飾って喜ぶのも、清浄なる菩薩の境地である。
思うにまかせて、心が喜ぶことも、清浄なる菩薩の境地である。
満ち足りて、心が輝くことも、清浄なる菩薩の境地である。
身体の楽も、清浄なる菩薩の境地である。
目の当たりにする色も、清浄なる菩薩の境地である。
耳にするもの音も、清浄なる菩薩の境地である。
この世の香りも、清浄なる菩薩の境地である。
口にする味も、清浄なる菩薩の境地である。

なにがゆえに、これらの欲望のすべてが清浄なる菩薩の境地となるのであろうか。
これらの欲望をはじめ、世のすべてのものは、その本性は清浄なものだからである。
ゆえに、もし真実を見る智慧の眼である般若を開いて、これら一切をあるがままに眺めるならば、あなたたちは真実の智慧の境地に到達し、すべてみな清浄でないものがないという境地になるであろう。
金剛手菩薩よ。
この清浄なる境地を生み出す真実なる知慧の理趣(みち)を聞かされたならば、すべての障りは速やかに消え去り、光り輝く菩提(さとり)の道場(にわ)に入ることであろう。

すべての障りとは、貧りや瞋りなどの煩悩の障り、法(教え)を聞きえない障り、悪業のみをなす障り等で、これらすべての障りを積み重ねても、地獄の境涯に落ち入るようなこともなく、重い罪を作ったとしても、それを消滅することは難しいことではない。


ということが書かれています。
純粋で自然な流れは、清らかである訳ですね。

一部を抜粋して取り上げていますので軽く流して下さい。


吉祥天の形
唐の貴婦人の装束を身にまとった、美しい女性の姿であらわされます。
頭には、宝冠を戴き、瓔珞など、装飾具も豊富に身に付け、天衣(てんね)をかけています。
その表情は、やさしく穏やかでたいへん美しい美人です。

吉祥天復元



左手の上に宝珠をのせ、右手は施無畏印(せむいいん)を結んでいます。
吉祥天はまた、華やかな色彩が施されている点も特徴で、華やかさやあでやかさを兼ね備えた女天です。


吉祥天のご真言
オン マ カ シリ エイ ソワ カ

吉祥印



吉祥天写仏1
吉祥天写仏2




先日ブログに、「天とはどんな仏様か。」のなかで抜粋して天部の諸尊を紹介しました。
その中に吉祥天も写真を上げて紹介いたしました。

私の10年来の友人で、沖縄市で風水を中心に人生相談をされている女性がいます。
彼女は、幼少の頃から霊感が強く色々な経験をさせられ方です。

つい最近、連絡があり元気な声で、「私、子供の頃からよく夢で吉祥天さんに頭ヨシヨシされていたの。美しい美人な人で綺麗な着物を着て宝石を身にまとっている天女としか分からず、記事を見て吉祥天さんと分かったわ。その天女さんの後ろに必ず武装した人もいつも一緒に会いにくるわ。何十年かの謎がとけたわ。ありがとう。」
とハイテンションで連絡を頂きました。

彼女は、人生鑑定という仕事を通じ、数々の人々に人生の道標を示しています。
幼少期から吉祥天に見守られ励まされ、頭ヨシヨシなでられ、人様の為に役に立ち頑張って人生を生きてきたように感じられました。















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