【葬送儀礼と「死」に立ち向かう心】その2
人生の節目や岐路に立ったときに、その分野の仏さまにお願いして「甘えて、力づけて頂く」智慧を学ぶブログです。
【葬送儀礼と「死」に立ち向かう心】その2
前回、寺や僧侶のなかで現代的な仏教や葬儀を模索し改善しようとする働きが始まっていると書きました。
阿弥陀如来がいまの世をご覧になったら、極楽への救済ではなく別の手段・言葉で、私たちに語りかけるかもしれませんね!
私たちは、「死」に対して、どの様な心構えで立ち向かうのでしょうか?
以前は、現世利益を種々の仏に求め、来世の救いを阿弥陀如来などに祈りました。
しかし、安易に来世を信じられなくなったいまの時代、私たちの大方は、極楽を願うより「いま」を大切に生きたいのです。
阿弥陀如来にしても、「現世で苦海にあえぐ人々を救う」のが仕事ですから、需要の減少は本望でしょう。
さて、今を生きるのに大切なのは、死の自覚です。
死を自覚することで、本当の自分がみえてきます。
そうすると、地獄も極楽もこの世のどこか外にあるのではなく、「二つながらすでにこの世界に存在する」と実感できます。
死は、誰にでも経験する究極とも言える平等。
死は、人生一回きりの大きなイベントであります。
死は「生」そのものに付き従う影であり、影あればこそ光が際立のです。
影におびえ目を背けるのではなく、影のなかに光を見いだすことが、私たち誰もが秘める究極の力です。
物心ついて以来経験を積み重ね、死を自覚し、そして世界には知らないことや理解不能の現象が無限に広がっていると気づくとき、私たちの目にこの世界が一回限りの新たな相貌を見せ始めます。
常住坐臥(じょうじゅうざが)、いつでも、すべてが新鮮な世界。
それを見て、感じて、私たちの心は震えます。
歓びに足りぬ人生などはありません。
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