密教の不思議な話 その8 (前編)
法を求め、法を広め、国の安泰を想い、民を利するため総てを密教に捧げて40年の歳月が過ぎた。真言密教は、日本の隅々まで行き渡った。やるべきことはすべてやり遂げた、大阿闍梨空海は、高野山に戻り即身成仏とゆう、最後の大仕事に取り掛かった。
密教は修行により、人は生きながらにして「仏と成り得る(成仏)」とした。 「身即ち、仏と成る」。この「即身成仏」、これこそが密教の最大の目的なのだ。
密教では大日如来という仏尊を奉ずる。密教の行者にとって、大日如来は巨大な宇宙そのものであり、 同時に山川草木、野を吹き行く風でもある。真言の行者は、行を経る事によりこの大日如来と 直接通じ、最終的には生身を以って仏教最大の目的である悟りの境地に達しようとするのである。 密教では「済生利民」と言い、衆生を救おうとする。衆生の求めに応じて修される加持祈祷がどれだけの幸せの道を導いたかはかり知れない。
830年 「秘密曼荼羅十住心論」、「秘蔵宝鑰」共に大著である。これまで習得したすべてのものも、お大師様の集大成の書が書き終わった。
「密教弘通の仕事は終わった。これで山に帰れる。」
都の官、民に惜しまれつつ山に向かった。
832年8月 高野山の伽藍建築が完成したことのお祝いに、四恩(父母・衆生・国王・三宝)に感謝する万燈万華会(たくさんの燈明と華)を行いました。
この万燈万華会がうまくいきますように、という願文があります。そのまま『高野山万燈会の願文』ですが、その冒頭は「暗黒は生死(しょうじ)の源、偏明(へんみょう)は円寂の本なり」とありまして、「暗黒は、生死の苦の源、明るさこそ内外の障りを悉く覗き去る涅槃の本である」と書いてあります。
「虚空尽き 涅槃尽き 衆生尽きなば 我が願いも尽きなむ」 は先ほどの文章に続く言葉です。(こくうつき ねはんつき しゅじょうつきなば わがねがいもつきなん)
虚空がつきる…宇宙の果てまで
涅槃がつきる…煩悩が無い静かな状態、それすら無くなるまで
衆生がつきる…生きとし生けるもの全てが輪廻から抜けるまで
本当に何もかもが苦しみのなかから抜け出た状態になったならば、父母・衆生・国王・三宝の恩に報いたいという自分の願いもようやく終わるだろう(それまで私は恩を忘れずにいるのだ)という意味合いです。
ここで、済生利民の為に永遠の誓願を立てられたのです。
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