護摩行を執り行っている最中は、灼熱の火焔地獄の中にいるような思いです。そんな中、ひたすらに燃え上がる炎と向き合い続けますが、次第に自分自身や祈願者の煩悩や雑念等が燃えて無くなって無心の状態になれます。
護摩行が終盤になると、炎が落ち着いて小さくなっていきます。その際の道場の空気感、満ち足りた感覚が実感できます。その際は自然と自分の心の内に目を向けて観察し、過去の過ちやカルマを焼き払って、精神・魂を清浄なものとし、意識の拡張をしております。
そして、護摩行の際に雑念がどうしても拭えないという方もいらっしゃいます。それは悪いことではありません。自分自身の心を観察しようとしている証拠であり、護摩行の荘厳さ、神聖さと普段の自分自身の心の騒々しさに気づいていることを意味しております。心配しないで頂きたいです。
護摩行は即身成仏、祈願成就への「手段」です。護摩行をやったから大丈夫。ということではなく、主体は心の状態・清浄さ・信力であり、我々行を執り行う者の純粋さ・清浄さの状態でもあります。
護摩行を執り行った後の日常生活が少しずつ善い方向に変化し続けることが我々の願いでもあり、目指すところです。