【苦しみや悲しみには必ず出口がある】
法身の三密は繊芥(せんがい)に入れども迮(せば)からず、
大虚に互れど寛からず。
~吽字義より引用~
空海の言葉で、「仏は糸くずのような塵の中にも、大宇宙にもいらっしゃる。その居場所はどんなに小さくとも困らず、広大であっても広すぎて困らず。自在に姿を変えられて存在している。」というお言葉です。
そして、空海の言う’平等’は、万物に対して平等で、どこまでも行き届いており、あらゆるものを吸収している。鉱物や木々、川という自然や、人間や天でも鬼や畜生でもあまねく仏は存在する。
この、あらゆるものを吸収しているというのが鍵になり、締めくくっております。
「神は細部に宿る」という言葉がありますが、仏教や密教の宇宙観はスケール大きく、さらに細部にまでと幅広い。
どこにいても仏様はいらっしゃる。人の心の中にも仏様はいらっしゃいます。誰もみていないから大丈夫。という考えや行動は間違いであり、ちゃんとみなさんの全てを見ている神聖な存在はいるのです。
逆を言えば誰も見ていなくても、仏様や神聖な方々は見ているのです。
どんな苦しみ・悲しみがあろうとも、襲ってきたとしても、ちゃんと救おうとする存在がいるというのを忘れず確信を持ってください。