沖縄県那覇市の密教護摩祈祷、祈願寺

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禿なる樹、定んで禿なるに非ず~秘蔵宝鑰~

空海こそが生きる指針・智慧が付く感動の人生勉強!

禿なる樹、定んで禿なるに非ず

世界は常に変化し続けています。自然の摂理や人間の営み、さまざまな要因によって、風景や環境は日々変わり、移り変わっていきます。その中で、私たちもまた成長し、変化し続ける存在です。

「禿なる樹」とは、衰えた、枯れた樹木のことを指します。樹木が枯れるのは、栄養や水分の不足、病気や災害など、さまざまな要因によるものです。そして、一度枯れてしまった樹木は、そのままでは再び芽吹くことはありません。

しかし、「定んで禿なるに非ず」という言葉は、ただ禿げているだけの樹木が、必ずしも衰えた状態ではないことを示しています。つまり、外見だけで判断せずに、内面や可能性を見極めることの重要性を教えてくれます。

私たち人間も、時には枯れ木のように見えることがあります。困難や挫折、失敗に直面したり、心が疲れ果ててしまったりすることもあります。しかし、外見だけで判断されることなく、内なる可能性や成長の余地を見出すことができるのです。

時には、枯れた木のように見えるかもしれませんが、私たちの内なる力や可能性は無限です。それぞれが持つ才能や情熱、経験や学びを通じて、新たな芽が花開くことができるのです。

私たちは、自分自身や他人を見るとき、表面的な外見や状況だけで判断することなく、深く内面を探求し、可能性を信じることが大切です。枯れ木のように見えるものにも、新たな命や成長の兆しが秘められているかもしれません。

さまざまな困難や挫折を経験したとしても、それが終わりではなく、新たな始まりであることを忘れずにいましょう。一度枯れたとしても、再び芽吹き、成長することができるのです。

私たちは絶えず変化し続ける存在であり、禿なる樹であっても定んで禿なることはありません。内に秘めた可能性や成長の種子を信じ、前に進む勇気を持ちましょう。

人は生きる限り、常に成長し続けることができます。だからこそ、禿なる樹であっても、内に眠る力や可能性を目覚めさせることができるのです。

定んで禿なることなく、私たちは自らの可能性に挑戦し、新たな枝葉を広げていくことができるでしょう。枯れ木ではなく、生命の息吹を感じさせる存在となるために、自らの成長と可能性を信じ、進んでいきましょう。


禿なる樹、定んで禿なるに非ず~秘蔵宝鑰~



【怒らず、叱る】
【怒らず、叱る】(2022-12-13 17:00)


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