沖縄県那覇市の密教護摩祈祷、祈願寺

 真言密教、不動明王、護摩祈祷、護摩祈願、日々役に立つ仏教 心を癒す感動する仏さま、物を手作りしそこに魂を入れる、  密教寺院勝龍寺沙門龍明のブログです。

美しい姿で魅了する・天女、飛天とは。

仏・仏像を知り日々に役立てる


密教に於ける仏像とは、何か?  仏教の信仰対象である仏の姿を表現した像のこと。仏の世界にも大きくわけて4グループに分類されています。細かく紐解き説明し、日々の生活に役立たせたいと思います。

飛天彫刻・平等院



天女・飛天(ひてん)は、よくお寺の本堂などの欄間に彫刻されていて、見る機会も多いのではないでしょうか。
本尊の脇侍や礼拝する対象物でもないのですが、本堂の内陣や外陣の壁や天井などに描かれている美しい女性です。
その美しさから、男女問わず魅了されています。
天女は、天部に住むとされる女性のことです。
天帝(天の最高神など)に仕えているとされる女官です。
人間界においては容姿端麗であることを除けば人と大な違いは有りません。

羽衣と呼ばれる衣服で空を飛ぶとされています。
この羽衣を奪われたばかりに天に帰れなくなりました。
地上の男性と婚姻する話(羽衣伝説)などが伝えられています。

天女



飛天と、天女は呼び方の違いでほぼ同一です。
飛天とは仏教で諸仏の周囲を飛行遊泳し、礼賛する天人のことを指します。
仏像や諸仏の周囲(側壁や天蓋)に描写されています。
起源は、はっきりとしていません。
インドとされていますが、オリエントの有翼天人がシルクロード経由らしいのですが分かりません。
古代ペルシャ遺跡に、起源とする有翼天人像、ゾロアスター教で空中から飛来するとされる精霊を象ったものが見られます。
これらの表像は、エジプトやメソポタミヤに流れ、イスラエルやギリシャの天使やエロス・ニケといった有翼神像にも影響を与えました。

仏教の飛天はそれらオリエントの神々と異なり翼を持ちません。
ですがガンダーラや西域では有翼像が見られています。
多くは天衣(はごろも)をまとった女性像として描かれるため「天女」とも呼ばれるようになりました。

飛天



阿弥陀如来などの仏を中心に、花を散らし楽を奏し香を薫じるなどして優雅に舞う姿が一般的に有名です。                                                     日本の寺院では、法隆寺金堂壁画や薬師寺東塔水煙、平等院鳳凰堂後背、法界寺阿弥陀堂壁画などにその作例が見られます。                                                                                       平等院鳳凰堂では、阿弥陀如来像の周りの壁に天女・飛天の彫刻が無数に飾られています。  
その全てが国宝になっています。

平等院鳳凰堂阿弥陀如来像の周りの天女像


平等院 国宝・雲中供養菩薩 1
平等院 国宝・雲中供養菩薩



弘法大師空海の幼少期に天女に守られた。
弘法大師(幼名真魚)七才の時です。
この世がどのようにして成り立っているのか、宇宙の真理とは一体なにかと子供ながらいつも考え、その事を知りたいと念じていました。
そのことは、お大師様は生涯をつうじて変りませんでした。

宇宙とは、人間とは、自分とはと問いつづけても、そう簡単には答えは見つかりません。
しかも、空海さんはまだ六~七才の子供で、自分でもどうしたら良いのか分からなかったのでしょうね。
答えが見つからない空海さんの真理の探究の思いは、日に日に強くなるばかりです。

「仏はいったいどちらにいらっしゃるのでしょうか。どうか、釈迦如来様にお目にかかりたいものです。」
いつもこう念じていた空海さんは、讃岐国(香川県)にある、険しい捨身岳に登りました。
山頂で一心に祈り、十方の仏法僧を念じて願を立てられました。
・・・〔十方とは、十方世界のことで、全世界、つまり「全宇宙」のことです。そうして、「十方諸仏」とは、「全宇宙には数多くの仏陀がいる」ということです。いわば「宇宙的仏陀観」のことです。〕・・・

捨身岳



空海さんは、「わたしは、将来に仏法を広め、たくさんの人を導こうと願っています。もし、わたしの誓願が受け入れられるのでしたら、これから山頂から投身するわたしの命を、諸仏よ、どうかながらえさせてください。もしわたしの誓願が成就できないのでしたら、わたしは命を捨てます。」
空海さんは、虚空(こうくう)に向かって力のかぎり念じると同時に、峰から谷底に向かって身を投げました。
どこからともなく、天女が現れ空海さんの身体を柔らかく受けとめたのでした。
落ちれば、必ず命を落とす高い所から身を投げたのに、空海さんはまったく怪我もしていません。
そのようなことを空海さんは三度もしたのですが、三度とも天女があらわれ「一生成仏」と言われ身を守ってくださいました。
その背後に、釈迦如来様の導きがあったのでしょう。

命を捨てる覚悟で虚空に身を投げ、自分を捨てて、きっと空海さんは誓願どおりに釈迦如来をその目で見ていたに違いありません。
その後も空海さんは、身を捨てるような厳しい修行をくり返していますが仏縁の絆が、ますます強固になり、その影日向には天女・飛天をはじめ童子や天部諸尊の守護が必ずあったこと思います。

捨身ヶ谷嶽禅定



四国八十八遍路巡礼のさいは、第七十三番出釈迦寺が捨身ヶ嶽の所です。
その奥の院からさらに数百メートル上がその伝説の場所があり、多くの参拝者が訪れています。












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