お釈迦様の説法を聞く暴れ神・阿修羅
密教に於ける仏像とは、何か? 仏教の信仰対象である仏の姿を表現した像のこと。仏の世界にも大きくわけて4グループに分類されています。細かく紐解き説明し、日々の生活に役立たせたいと思います。

「阿修羅」というのは、インド神話などに出てくる異教の神です。
怒りや争い、戦いなどが好きな鬼神のことを指します。
後にこの阿修羅は、他の五部浄像(ごぶじょう) 、沙羯羅像(しゃがら) 、鳩槃荼像(くばんだ) 、乾闥婆像(けんだつば) 、迦楼羅像 (かるら)、緊那羅像(きんなら) 、畢婆迦羅像(ひばから) 、という同じような異教の神々と共に釈迦の教えに従い、仏教を護る八人の善神となり、八部衆と呼ばれるようになりました。
仏教をひろめるためには、おだやかさや優しさだけでなく、仏の世界を守護し、悪者を力でおさえて仏教の信者にすることも必要なのです。

お釈迦さんの説法を聞く暴れ神
無尽意菩薩(釈迦の弟子・菩薩は称号)が、合掌してお釈迦様に聞きました。
「お釈迦さまには、どんな功徳があるのですか。また、この娑婆世界で、どんな姿で何処におられ、どんな法を説いておられるのですか」
お釈迦さまは答えました。
「観音さまの名前を唱えるだけでも、あらゆる苦しみから救ってくださる。また衆生のために、いろいろな姿で、いつも私たちの身辺におられる。ときには仏様であったり、大将軍ともなり、また長者とか僧、女や子供、さらには天竜、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人非人という八部衆のような姿にまで変身して衆生を救っておられるんだよ」
この問答が、『妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五』略して観音経というお経にかかれています。
また、お釈迦さまが舎利弗に阿弥陀の世界、西方極楽浄土の美しい有様を説明している「阿弥陀経」があります。
この経のなかで、問答を聞いていた大衆が、最後に歓喜の声をだしますが、そのなかに阿修羅がいたというのです。
この二つの経典からみても、阿修羅は間違えなく仏教徒であった事でしょう。
しかし、阿修羅はインド神話では悪霊鬼人とされ、弱い人間には恐ろしい存在でした。
その悪神たちのなかに、八部衆がいて彼らは、天地を駆け巡る竜や大蛇、鳥や半人半獣で、超人的神通力をもった神々なのです。
なかでも、最も争いの好きな暴れ者が阿修羅です。この阿修羅がなぜお釈迦さんの法話を聞き、絶叫しているのでしょうか?

古来の仏像・仏画には、お釈迦さんの説法時には、いつもお釈迦さんの側近として十大弟子がいるのですが、その後方にこの阿修羅がいます。
それは、いかにもお釈迦さんを守護する警備員のように、眼を輝かし警備している姿に表現されます。
お釈迦さまの説法を邪魔するはずの阿修羅。ミイラとりがミイラになる。
約2500年前、お釈迦さんが悟りを開き、仏教として大衆の教化当たられた頃のことです。
仏様がおられる須弥山下の大海底に住む阿修羅がいました。
インド固有の善神でしたが、後に太陽や月、インドラ神(帝釈天)と戦ったので悪神とされました。
このような悪の神は他にたくさんいました。
その、悪神たちにとっては、お釈迦さまが悟りを開き、仏陀になれれ、平和な社会をつくられては困るのです。
あくまでも、その行いは、邪魔しなければなりません。
しかし、お釈迦さまは6年間の苦行によってこれらを降魔して悟られました。
こうなれば、次はお釈迦さまの説法を大衆に聞かさないようにしなければなりません。
そこで、阿修羅は、お釈迦さまの話し中に、大衆が感激しそうなところで騒ぎ立てようと、その頃をうかがいながら耳を傾けていました。
ところが、いつのまにかその説法に聞き入ってしまい、自分の役目を忘れて大衆と一緒になってしまったのです。
しかし、他の悪神たちは、約束通りに良い頃で騒ぎだしました。
それを聞いた阿修羅は、我を忘れ仲間に向かって「だまれ、うるさい、でていけ」と追い払い進んでお釈迦さまのほうに近づき、心静かに説法をききました。
その時の顔は、あどけない童子のように、時々りりしく、しかも本来の闘争心は無く、ひたすら仏法を聞く喜びに浸るのでした。

健康的な成人男子の体型
京都の三十三間堂の阿修羅像は騒ぐ悪神たちを追い払っている姿です。

奈良の興福寺の阿修羅像は、無心で仏法を聞く喜びに浸る姿です。

興福寺阿修羅像は、健康的な成人男子の体型でありながら、戦うべき筋肉はすべてそぎとっていますので、腕や脚は細くみえているのです。
阿修羅は、お釈迦さまのそばから離れませんでした。仏教を広めるために学んでいる十大弟子や羅漢たちにもその後ろ側で、悪神たちへの防衛にあたりました。
悲しみにくれる阿修羅
お釈迦さまが、八十歳の生涯をとじようと涅槃に入られました。
側近の弟子たちや多くの羅漢たち、さらには天地の生き物一切は、その別れを惜しみなきました。
当然、阿修羅の泣く姿もそこにありました。

釈尊涅槃図の様子を表す作品は、沢山存在します。
ですが、ほとんどが絵画で仏像は少ないです。
国内最古の作例は、法隆寺・五重塔内にあるぞうです。

お釈迦さまの亡き後の阿修羅はどうなったのでしょう?
おそらく、お釈迦さまの在世当時以上に強烈な仏法の守護神になった事だと想います。
その証拠と言うか証が興福寺の阿修羅像にみられます。
奈良時代に造られたこの像ですが、今もなお興奮さめやらず、生き生きと頬を赤らめ、仏法を聞く喜びを、私たちに叫びづつけているのです。