【葬送儀礼と「死」に立ち向かう心】その1
人生の節目や岐路に立ったときに、その分野の仏さまにお願いして「甘えて、力づけて頂く」智慧を学ぶブログです。
私たちの人生の最後は「死」そして葬儀で、大部分を占めるのはやはり伝統的な葬儀ですが、近年ではその形態が多様化し、僧侶の関与しない無宗教葬(お別れの会)や告別式だけの葬儀、散骨、マンション墓などの増加などが目立っています。
伝統的な葬式やそれに付随する儀礼が、仏教教義と異質な部分も含んでいるのは周知のとおりで、だれもが多少の違和感を感じつつ、周囲に合わせてきたことでしょう。
しかし、それはある意味で正解でしょうね。
葬儀は「習俗」であって、広い意味では「文化」だからです。
葬式・法事・お墓・戒名・お布施など一連の仏事は使者への供養であると同時に、遺族や友人知己など残された者が故人の死を受け入れ、日常生活に復帰するための、いわば心理的緩衝装置の役目をはたします。
村落共同体や大家族制が都市部の核家族や単身者のコミュニティへと変わったいま、「習俗」である葬儀の変化は必然なのかもしれません。
このような事態に直面してようやく、寺や僧侶の中からも、現代的な仏教や葬儀を模索し改革しようとする動きがはじまっています。
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ブログ内の質問や相談は、勝龍寺ホームページ内の、お問合せからお入り下さい。
http://www.shouryuji-raihousan.com/index.html
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私たちの人生の最後は「死」そして葬儀で、大部分を占めるのはやはり伝統的な葬儀ですが、近年ではその形態が多様化し、僧侶の関与しない無宗教葬(お別れの会)や告別式だけの葬儀、散骨、マンション墓などの増加などが目立っています。
伝統的な葬式やそれに付随する儀礼が、仏教教義と異質な部分も含んでいるのは周知のとおりで、だれもが多少の違和感を感じつつ、周囲に合わせてきたことでしょう。
しかし、それはある意味で正解でしょうね。
葬儀は「習俗」であって、広い意味では「文化」だからです。
葬式・法事・お墓・戒名・お布施など一連の仏事は使者への供養であると同時に、遺族や友人知己など残された者が故人の死を受け入れ、日常生活に復帰するための、いわば心理的緩衝装置の役目をはたします。
村落共同体や大家族制が都市部の核家族や単身者のコミュニティへと変わったいま、「習俗」である葬儀の変化は必然なのかもしれません。
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