沖縄県那覇市の密教護摩祈祷、祈願寺

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≪お釈迦さまの一生≫

仏さまを知り、仏さまに甘えてみる

人生の節目や岐路に立ったときに、その分野の仏さまにお願いして「甘えて、力づけて頂く」智慧を学ぶブログです。

≪お釈迦さまの一生≫




≪お釈迦さまの一生≫


<布教~入寂>
この世のありとあらゆる物事は「因縁」によって生起する。
因は直接の原因、縁は間接条件。
つまり関係性・相好依存性であり、したがってすべて物事・事物は流動してやまず、不変のものなどない。
にもかかわらず、自我や物事に執着するから苦が生じる。
世界の本質への無知による執着、それこそが苦の原因である。
苦から逃れようとするだけでは解決にならない。
無知・無明を超克することが根本的解決である。

このように釈迦はかんがえました。

釈迦は、自身が得た真理があまりにも深遠微妙で、特別に堅い人意外はきっと理解できないだろう、たとえ説明したとしても無駄骨だろうと思い、この真理を自分の胸だけに秘めておこうとしました。

そこに、ブラフマー(梵天)という神が現れ、その真理を広くみんなに説くように釈迦に勤めたのです。

これが、「梵天勧請」といわれるエピソードで、釈迦が布教に乗り出した動機を、神話的に表したものです。


≪お釈迦さまの一生≫



釈迦の始めての説法は、ベナレスの鹿野苑(ろくやおん)というところで行われました。

かつての修行仲間5人の出家修行者に法を説き、彼らが最初の弟子になりました。

その後、人々がどんどん集り弟子や信者がどんどん増え、釈迦の遊行・説法はそれから45年間にわらって続き、帰依する人々はインド全域に広がりました。

釈迦は説法のとき、聞く人の立場や状況、能力などに応じて、相手が最も理解しやすい言葉と方法で教えを説きました。

対機説法こそが、釈迦が皆から慕われ愛された理由なのでしょうね!


≪お釈迦さまの一生≫



釈迦が亡くなった80歳のときの「涅槃図」に描かれていますように、弟子や信者、多くの人々、ありとあらゆる動物たちまでも、釈迦の周りで死を嘆き悲しみました。

釈迦の最後の言葉は、「では修行者たちよ、汝らにつげる。諸々の現象は移ろいゆく。怠らず、つとめるがよい」でした。

釈迦が火葬された後、その骨灰=「舎利(しゃり)」は塔に祭られました。

このシャリ塔(ストゥーパー)が中国・日本などの三重塔・五十塔へと発展し、卒塔婆の原型ともなりました。

日本の寺では2月15日は涅槃会が執り行われます。


≪お釈迦さまの一生≫



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