沖縄県那覇市の密教護摩祈祷、祈願寺

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密教の不思議な話 その7 (後編)

密教の不思議な話


密教は着実に日本に根を下ろしはじめた。空海様の名声も日に日に高まる。超人的な行動力をもって、修法、寺の運営、布教、膨大な仕事と多忙をきわめるなか、蜜厳浄土の具現化に邁進する。

東寺



お大師様は、朝廷からの依頼で香川の満濃池修築工事を、素晴しい才能と技術そして、法力を用いて見事3ヶ月で完成させた。今までに3年経っても出来なかった大工事である。

高雄山寺に戻り弟子達をいまだ密教の伝わっていない東国に遣わした。日本の隅々まで密教を布教させ密厳国土にしたい、強い願いがお大師様には有った。弟子達は、師の願いとともに旅立った。

823年1月、東寺が下賜(高貴の人が、身分の低い人に物を 与えること。)された。お大師様は、これを「教王護国寺」と名ずけ、真言僧を数多く置き、鎮護国家を祈る真言密教の根本道場とし、ここに「真言宗」が確立する。

この年4月、嵯峨天皇は譲位し、淳和天皇の治世になった。翌年、全国が大旱魃に見舞われた。各地にて餓死者にあふれ、人々は想像を絶する苦しみを味わっていた。都も、例外ではない。
朝廷は、東西両寺の高徳に請雨を命じた。

神泉苑



最初に、西寺の守敏僧正(しゅびん)が神泉苑(しんせんえん)に赴いた。すると、たちまち雨が降ったのです。桓武天皇以来、朝廷から厚い信頼をえていた守敏僧正、さすが大徳と尊敬された。だが、全国の餓死者は減るどころか増えていった。色々と調べたところ、雨は都周辺のみ降らなかったことが分かった。

帝は、お大師様に修法を命じられ神泉苑に向かい「請雨経法」を修し、北天竺の大雪山(インド北部にそびえるヒマラヤ山脈の古名)から善如龍王を勧請するため、お大師様は壇を築いた。修法を開始して数日たつがいっこうに変わらない。帝をはじめ周囲の不安はだんだん強まり、次第にその法力を怪しみだした。

修法するお大師様



修法を始めて7日目に、空が黒雲に覆われたかと思うと、突如、虚空の金色の光が現れた。人々が驚き怪しんでいると、龍が姿を見せたのだ。これこそが、善如龍王だったのです。龍王はお大師様の祈祷に答え、日本国中に3日間、雨を降らせました。

善如龍王



これを機に、龍王は神泉苑に棲み、真言の法灯を受け継ぐ有徳の僧の祈りに応えるようになったそうです。

善如龍王



その後もお大師様は数々の験力を顕し、人々の帰依は深まった。修法の力だけが密厳浄土を具現する方法なのか。人々の心の中にこそ、具現されるべきではないか。
828年、庶民のための学校、綜芸種智院を東寺の東隣に創設しました。

この当時、国学や大学は豪族、貴族の子弟しか入学が出来なかった。
しかし、学問はもっと開かれたものでなければいけない。学ぶことによって人は目を覚め、他を利する者になる。そうなることで心は、密厳浄土となり、国も密厳浄土となる。お大師様はその様に考えていた。

綜芸種智院



入学は、何時でも大丈夫。授業料は無料。又、教授・生徒の双方に完全給費制度が敷かれたのである。授業も、仏教をはじめ、儒教、医学、音楽、美術あらゆる部門を行っていた。
「綜芸」とは、そういう意味です。

密教は、いま日本で大輪の花を咲かせようとしています。そして、お大師様は、自分のやるべきことの総仕上げの時期が近いことを感じていた。












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