沖縄県那覇市の密教護摩祈祷、祈願寺

 真言密教、不動明王、護摩祈祷、護摩祈願、日々役に立つ仏教 心を癒す感動する仏さま、物を手作りしそこに魂を入れる、  密教寺院勝龍寺沙門龍明のブログです。

密教の不思議な話 その8 (中編)

密教の不思議な話


法を求め、法を広め、国の安泰を想い、民を利するため総てを密教に捧げて40年の歳月が過ぎた。真言密教は、日本の隅々まで行き渡った。やるべきことはすべてやり遂げた、大阿闍梨空海は、高野山に戻り即身成仏とゆう、最後の大仕事に取り掛かった。

高野山頂上夕日



お大師様の最大の目的である済生利民の為の即身成仏に向けた準備が始まった。先の法会、万灯万華会から一切の食べ物を断ち、ひたすら瞑想する日々であった。食事を取らないのが2年も続き、3年目に入った825年には、水さえも飲むのをやめてしまった。

完成は、間近だ。

お大師様は、弟子達を自坊に呼んだ。そこには、朱の椅子に結跏趺坐(けっ かふざ)している師の姿があり右手に五鈷杵(ごこしょう)を胸のあたりまで上げ、左手に数珠を持ち下におろした御姿であった。背後には両部曼荼羅、中央には金色の大日如来画を掛けたお大師様は、まるで生きたまま仏になったように見える。

お大師様は、弟子の顔を一人一人見て、最後の言葉、遺言とも思える言葉を語り始めた。

遺言を伝える



「私は3月21日虎の刻、山に帰る。悲しむことはない。これは終わりではなく始まりである。
現世に生を享けてから62年が経った。40年あまり、道を求め続けてきた。かつては100歳まで教えを布教しようと願ったが、お前達の為にも早く定に入ることにした。あとは、お前達に託す。よく、後人を導き、法灯を守り、未来に伝えるのだ。遠い将来、弥勒菩薩が下生されるまで、私は高野の東の峯で禅定する。その時が来たら、私も説法の場にいるだろう。
それまで、よく努めよ。ゆめゆめ怠惰の気持ちを起こさず、修行に励み、人々に尽くし、この国を、そして世界を蜜厳浄土に変えるのだ。
もし、私に会いたくば 『南無大師遍照金剛』と唱えよ。私はその者と常にともにいるだろう」
そして、お大師様は瞑目に入った。弟子達は溢れる涙を抑えきれず、皆、嗚咽した。

自分達の両親や身内を亡くしたように、いやそれ以上に師僧の最後の言葉に悲しんだ。

入定するお大師様



それから、1週間後の835年3月21日お大師様は、永い永い定に入った。

真言正系の大阿闍梨・空海はこうして、やるべき事なすべきことをすべて成し遂げ、最後の究極の完成、即身成仏を成し遂げたのです。お大師様、62歳 春












同じカテゴリー(密教の不思議な話)の記事

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。